梨本宮記念財団 - 一般財団法人
 
 
 
 
 
序章 祈りの旅①
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
戦争の記憶と平和を未来へ
 
太平洋戦争が終結して六十年余りとなります、戦後生まれの人口が75%を超え、日本とアメリカで激しい戦争がおこなわれたことすら知らない若者が増えています。史実は時として歴史の中に埋もれてしまう事もありますが、日本人として忘れてはならない史実もあるのです。
 
私の実父は、東北・山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の神々に勤行する一方戦後まもなく、先の大戦で祖国のため、肉親を守らんがためにかけがえのない命を散らした英霊の切なる想いを、後世に伝えていくことこそ自らの使命と、その生涯を鎮魂と平和への祈りに捧げてきました。
 
1949年(昭和24年)、父、母は全ての財産を投げ打ち羽黒山境内に平和慰霊塔を建立し、毎年、終戦記念日の八月十五日には、二千人余の人々と共に慰霊祭を執り行ってきました。また、月山の頂上(1984㍍)には東洋平和、世界平和の願いをこめた慰霊の碑をを建立しました。
 
さらに、沖縄、グアム、中国、旧満州などの激戦の地に赴き、散華した内外戦没者の慰霊と感謝の祈りを捧げてきました。国内においても、日韓の歴史に深く刻まれている文禄・慶長の役における韓国人犠牲者十二万余の霊魂帰還式典を執り行い、このことにより、日本と韓国における友好・親善の大きな一石を投じました。シベリアの凍土に眠る五万人以上の抑留犠牲者の霊魂帰還事業においては「八咫烏」の発動により、霊魂を八咫烏の背に乗せて祖国日本の地へ、そして、靖国の社へ帰還させることが出来ました。
 
これまで、国内外共に父に同行してきた私は、各地でみる戦争の生々しい傷跡を目の前に幾度と身体の震えを憶えたものでした。戦争の悲惨さ、愚かさ、虚しさ、そして何より胸に痛みを受けたことは、未だ、幾万、幾数十万の戦争犠牲者の遺骨が放置されているという現実でした。遠く想像だにしなかった外地での激戦の中で、ついに矢弾尽き、生命線の食も水も絶たれ、また重い病に侵され玉砕へとおいこまれていったのです。
 
平和を享受する現代社会。しかし、我々が『昭和』という時代を振り返るとき、僅か、六十数年前、日本をアジアをも巻き込んだ「戦争」という絶望的な現実があったのです。
 
今から150年前、日本は開国、明治維新へと時代は流れます、弱肉強食の帝国主義だった十九世紀初頭は、西欧列強の進行に対し、アジアは国家の独立を、いかに守り、どう生き残るかを図る重い課題と向き合っていました。
 
日本は富国強兵の名の下で日清戦争、日露戦争を経て、韓国併合、満州事変と、混沌と動乱の波にもまれ、遂に、1941年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃を機に太平洋戦争へと突入して行きました。が、しかし、戦争の結末は過去のあらゆる歴史をみても残酷な定めが待っています。先の大戦では、広島、長崎とたて続けに人類史上初の原子爆弾が投下され、一瞬にして幾数十万の命が奪われました。老いたるもの、幼きもの、男、女の分別も無く、容赦することなく命の価値を踏みにじりました。これが戦争の姿なのです。
 
1945年8月15日長きに亘る戦争は終わりました。私たちは今生かされています。一時代に生きた人たちは、日本の未来に夢や希望を託し、失った多くの人々の力がいまある日本の礎になっていることを学ぶべきでしょう。
 
私は強く思います。『過去に目を閉ざせば、現在も未来も見えてはこない』と。私の父は、2003年、慰霊と鎮魂、そして平和へ祈りに寄り添って2003年6月、95才の生涯を終えました。
その父、神林茂丸、晩年の時です。旧皇族梨本徳彦(梨本宮祭祀継承五代目)と極めて深い因縁のあった二人は、出羽三山の神々に詣でて、梨本宮の名籍をどう継承していくかと重い語らい合いが行われました。夜を徹して得た結論は私に対する“覚悟して臨め”という父の一命でした。
 
私は数ヶ月の間、熟慮に熟慮をかさねた中で父の意志を受け止め、そして、2002年9月梨本宮、梨本家六代目祭祀継承の重い責務を荷なって梨本家への入籍を致しました。2009年6月には、実父の意志と梨本家の使命をより明確化するために、一般財団法人梨本宮記念財団を設立しました。
 
当財団は、日本国天皇、皇族の立場にたって、過去の因縁解消、懺悔減罪を基本理念に掲げ、戦争の記憶を後世に伝え行くとともに、未来に亘る東洋平和、世界平和を提唱していく目的であります。
 
また、近隣アジア諸国との友好親善に努めて参ります。戦争の痕跡は我が国に限らず、当時、日本軍に侵略、占領されたアジアの人々も同じように痛みや苦しみを忘れていないからです。
 
東京・目黒の祐天寺。本堂の一隅にひっそりと佇む祭壇・納骨堂も戦争の痛々しい歴史の証です。位牌には「太平洋戦争朝鮮半島旧日本軍人軍属戦没者霊位」と記されています。戦争の激化にともなう兵力増強のため、いや応なく人格も生活もかぎ取られ、日本軍人軍属の身分の元で、各地の戦場にかり出されたのです。犠牲者は9,000人に昇ります。その内訳は韓国出身8,575名、北朝鮮出身者425名です。
 
国交のある韓国には、身元の判明者から、随時、期間事業を推進し2011年6月現在275名の御霊となりました。
 
一方、国交のない北朝鮮出身者の戦没者は一体も帰還出来ないまま安置されています。日本軍人軍属として強要され戦火に散った彼らの心情はいかなるものか計り知る事はできません。我々の何げない日常の中に、国内外を問わず、こうした歴史の中に埋もれている悲惨な事実が数え切れない程あるのです。
 
梨本宮記念財団は、目的をひとつにもった同志の絆により、一歩一歩ながら戦争の記憶、戦没者への祈り、東洋平和、世界平和への道を進めていきます。
 
皆様方におかれましては、国籍、政治、宗教に関わることなく、広く有志のご賛同、ご指導、ご鞭撻を賜りたく、お願い申し上げる次第です。
 
 
 
一般財団法人 梨本宮記念財団
 
代表理事 梨本隆夫